人間年をとると、自分の本質が出てくる。
どう、生きてきたかが出てくると思う。
たとえ、いい人の振りをしてきても、
中で色んな感情が渦巻いている人は、
やはりそれが噴出してきてしまうのではないかとも思う。
年をとって、ボケたとき、
どんな老人に自分はなるか。
(そこまで生きられたらだけど)
何を見るか。。
近所の評判の悪かった女性が、
年をとってボケたあと、毎日鬼に追いかけられる幻覚を見ているという。
そういう人は多いらしい。
生きているうちから、裁きにあっているようだ。
先日、おこしものを作りにおばのうちに行った。
おじは、ボケてしまって寝たきりになっていて、おばは介護をしている。
ボケるまえは、ほんとうに「紳士」という感じの人で、
知的で、優しくて、物知りで、背が高くて、字も上手で、
私のある種憧れの人だった。
ボケてしまったおじのことを、おばはこう言う。
まるで少年に戻ったよう。とてもかわいらしいのよ。
おじは、本質からやはり素晴らしい人だったのだ。
そして、今回おこしものを作っていて、ダイニングに鏡があるのに気付いた。
そうしたら、こんな話をおばがしてくれた。
おじが、部屋に入ってくると、
鏡に映った自分の姿を見て、ビックリし、
仏様がいらっしゃる。。ありがたい。。
と言って、手を合わせるのだそうだ。
鏡に映った、自分の本質の姿。
それはまさに仏様であり、またそれを見て感謝する。
毎日、仏様に会えるわけである。
毎日、感謝するわけである。
すばらしい話ではないか。
私も、こんな風にボケても大事にされ、自分が仏様に見えるような
そんな人生を送れたら。。と思う。
それには、まだまだ魂の修行が必要だろうけど(^^;)
素敵な話を聞けて、ほんとうに良かったと思っている。